評論 第155回 2005年2月15日

歯止め利かない核拡散
米外交力に行き詰まり

北朝鮮が核兵器保有を公式に宣言し、放棄の話し合いに応じないことを明らかにした。イランは核製造の意図はないというものの、ウラン濃縮関連活動で得た成果の放棄について協議するつもりはないとも言っている。

米国の出方はどうか。言うべきことを知らず、もがくばかりだ。実は、ブッシュ大統領のおかげで、ずっと前から魔法のランプの魔神が飛び出しているのである。これもまた大統領のおかげだが、米国はこうした状況に対処する軍事力も政治力も持ち合わせていない。では、これからどうなるのか。今後三年ほどの間に起こり得るシナリオは二つしかない。

ひとつは、北朝鮮でもイランでも重大な事態は起こらないというものだ。米国がイラクの泥沼から抜け出すことに引き続き難渋し、手いっぱいだからだ。一段と厳しさを増す国内の政治論戦にかかりきりになり、外交舞台で孤立状況に置かれることもある。米国は脅しと沈黙を繰り返す以外に手がないのだ。

もう一つのシナリオとは、超タカ派が軍部も含めてブッシュ政権内の抵抗を制圧し、直接に、あるいは、イスラエルをイランに向かわせるなど、第三者を通した軍事的対決に突き進むというものである。

問われる英知

第二のシナリオに切迫した可能性はない、とわたしは考える。とはいえ、可能性としては間違いなく存在する。仮に、その事態となれば、人的犠牲は破滅的なものになる。とりわけ、核兵器が使われた場合には。その結果予想されるのは、軍事的な行き詰まりであり、環境面の甚大な災禍である。可能性がいかに小さくとも、回避に手だてを尽くすことに、英知と健全な精神とが問われる。

では、北朝鮮でもイランでも何事も起きないという、可能性のより高いシナリオは、地政学的にどのような結果を招くだろうか。それは米国にとっては極めて否定的な結末である。第一に、世界が米軍事力に対する評価をさらに、見直し変更していくということだ。

かつて実質的に無敵とみなされていた強大な米国の軍事力だが、世界を「衝撃と畏怖(いふ)」(イラク空爆の作戦名)で圧倒する力は、この間、失われてきていた。この、うたい文句でブッシュ政権が約束したようにはいかなかったのである。

重要な軍事問題をめぐって北朝鮮が、さらにはイランも加わって、米国に盾突いてもうまくいくとなれば、米国は(旧約聖書にある)少年ダビデに石で打ち倒されるのを待つだけの屈辱の巨人ゴリアテにすぎないという、世界中に強まりつつある印象をさらに加速させずにはおかないだろう。

近づく悪夢

こうした状況で、ワシントンが承認しようがしまいが、各国それぞれが自らの道を行く構えをいっそう固めていくのは間違いない。では独自の道とは何か。それは北朝鮮やイランだけでなく、多くの国が核兵器保持へ向かう真剣な一歩を進めるかもしれないことを意味する。また、多くの国が米国あるいは北半球諸国との二国間、多国間の通商交渉に一段と強硬姿勢で臨み、ドル支配からの離脱を志向する国々が増えていくことも意味する。

そして、そう遠くない日に米国に悪夢が訪れる。突如広がるドルへの信認の喪失である。ひとたびそれが現実となれば、元に戻すのは恐らく不可能であろうし、米国のもろい財政に大混乱をもたらすだろう。

問題はそれだけにとどまらない。今、何が起きているかを見つめる必要がある。イラク国民議会選挙をブッシュ大統領は「目覚ましい成功」というが、米国が望んでいたような政府ができる可能性も、米軍撤退までにイラク人の抵抗が収まる可能性もほとんどない。米メディアからは選挙をめぐる多幸感もやがて消え、激戦ではなくても大規模な戦闘が際限なく続くという現実を認めることになる。

このような戦闘は資金と人命の消耗を重ねさせ、それに伴って米市民の忍耐も限界に近づいていく。こうした中で、イランが核実験に踏み切ったらどうか。もちろん西側が強く反発する半面、イランの国内外では称賛も大きいだろう。その後に、われわれは新たな「現状」に慣れていくのかもしれないが、地政学的な現実は引き続き、ブッシュ大統領が決して喜べない方向に進んでいる。

2005年02月25日 共同通信

イマニュエル・ウォーラーステイン

Immanuel Wallerstein, "The Nuclear Club Expands," Commentary No. 155 (Feb. 15, 2005). http://fbc.binghamton.edu/155en.htm