評論 第181回 2006年3月15日

ぬれ手で粟のインド
核合意、米に外交的失点

ブッシュ米大統領は先のインド訪問で、歴史的とか、世界システムの転換点とか評される合意を結んだ。ニクソン訪中に匹敵するとの見方すらあるこの訪問は、しかしそれほど大層な出来事なのか。

第二次大戦後の世界で、インドは米国にとって厄介な存在だった。冷戦期の非同盟勢力の旗頭であり、歯に衣(きぬ)着せぬその物言いを、米国は苦々しく見つめていた。インドの非同盟を事実上の親ソと見なす米国は、パキスタンに肩入れした。

インドの主要な政治勢力である国民会議派は、アジア・アフリカ民族解放運動の手本だった。初代首相ネールとその直系の後継者らは、非同盟と反植民地運動支援を政策とし、国内では社会民主主義を採用した。軍備拡張にも熱心だったが、米国が支援を拒否したため、兵器と航空機をソ連から買い、それが米国を一層いらだたせた。

国民会議派は1970〜80年代に世界各地の同種組織と同じ幻滅と無気力に陥り、90年代には輝きを完全に失った。96年から2004年まで右派のヒンズー至上主義政党、インド人民党(BJP)などが政権を握った。冷戦後の世界で、国民会議派は非同盟や反植民地主義的連帯を口にしなくなり、社会民主主義も捨てた。

世論の変化

過去5年間に米国とインドは重要な変化を経験した。経済発展を経たインドは米国にとって情報科学の重要な下請け先となった。在米インド人は各分野で多額の収入を得ながら母国とのきずなを維持し、保守の一大勢力を形成して、インド政府に対米緊密化を求めた。

ブッシュ政権下で国際的孤立を深める米国にとって、インドは国民の大多数が好意を抱いてくれる数少ない国の一つとなった。嫌米派がほぼいなくなったとまでは言えないが、インドの世論は米国の伝統的同盟者である西欧や韓国とは反対の方向に動いている。

ブッシュ大統領の訪問はこうした状況を背景として行われ、インドの核計画に米国が協力するという合意を生んだ。同じく核兵器保有国であるパキスタン、イスラエルと同様、インドは核拡散防止条約に調印していない。米国はこれまでインドの核計画を非難し、1998年の核実験を受けて核技術輸出を禁止した。

今回の合意で、米国はインドに核燃料・技術を売ることになる。支援は核の平和利用分野に限られ、査察の規定もあるが、対象は平和目的の施設だけだ。どの施設が平和目的で、どの施設が軍事用かはインドが決める。

北朝鮮は高笑い

合意でインドが得るものは明白だ。のどから手が出るほど欲しかった核計画促進のための技術支援と、国連安保理常任理事国五カ国とほぼ同等の、核保有国としての事実上の認知が、ぬれ手で粟(あわ)と転がり込んだ。

米国が得たものはあいまいだ。米国はインドを、アジアにおける中国の軍事・政治的対抗馬にしようとしているとされる。また米国は、近年では珍しくなった大国からの友好的まなざしを、インドから向けられることになった。

しかし合意は非難の渦で迎えられた。インドでは、国民会議派の連立与党を含むすべての嫌米勢力が不満を抱いている。米国では、核拡散防止条約を台無しにするとの一斉攻撃が行われた。合意はイランの核問題に関する議論の土台を掘り崩した。ブッシュ大統領からインドと同様に取り扱うつもりはないと通告されたパキスタンは、不平たらたらだ。

こうしたことすべての結果、事態はどうなるのか。米議会では合意の承認に条件をつける動きが出ている。そうなればインド政府は条件を拒否し、米国に対して抱いた親近感は霧消する。既にぎくしゃくしている米・パキスタン関係はもっと悪くなるだろう。

インドはどう転んでも利益を得る。ロシアは、米国がかつて阻止しようとした核燃料輸出をインドにもちかけているが、米国にこれを阻止する大義名分はない。イラン核問題の議論を立て直すすべはなく、北朝鮮からは高笑いが聞こえる。

合意の帳尻は、インドの大量得点と、米国のさらなる外交的失点だ。合意はブッシュ大統領が言う「戦略的パートナーシップ」の第一歩どころではなく、地政学上の米国の地位を一層低下させることになろう。

2006年4月14日 共同通信配信

イマニュエル・ウォーラーステイン

Immanuel Wallerstein, "The United States and India: New Best Friends?" Commentary No. 181 (March 15, 2006). http://fbc.binghamton.edu/181en.htm